イス軸法を始めて1年と少し。昨年は自分の身体がびっくりするほど変わった。
正直、イス軸法を体験する前は、自分はアレクサンダーテクニーク(以下AT)をやってるから、そんなに変わらないはず!と思っていたし、疑いもあったくらい。そして一年経った今思うのは、イス軸法に出会うべくして出会ったんだなと言うこと。
もし、「ATとイス軸法、どちらが良いんですか?」と聞かれたら、「それぞれ役割が違う」と今の私は答えるかなと思う。
イス軸法に出会ってからは、むしろATって何だ?と言うことが前よりわかった気がする。それについて、少し書いてみたいと思う。
ATの1番難しいところは、ATの目指している状態がはっきりとわかりにくいことだと思う。
イス軸法なら、「身体に軸がある状態」が目標だということがわかりやすい。(もちろん、それがどう言うことか?と言うのは奥深いものがあるのだけれど。)
ATには、エンドゲーニング(Endgaining)という言葉があって、ただ目標に突っ走る行為は、『NG !』という考え方をする。なので、「身体はこうあるべき」という状態を敢えて語らない。(とは言え、やはり理想の状態はあるのだけれど。)
敢えてそこについて書いてみると、ATの理想とする身体の状態は、ある意味かなり難しいと思う。ATで目指すのが、例えば「瞑想や坐禅で目指す心身が統一された状態が日常生活でも実行できる」そんな方向性だとすると、私はまだまだ全然できていないと思うし、「ATが目指す方向が本当にそうなのか?」はAT教師の中でも賛否両論あると思う。ちょっと漠然とした、そんなATにどっぷりと浸かっていた私には、イス軸法の「『軸』で立つ』という発想は具体的で新鮮だった。
以前の私は、脊椎は椎骨がうまく積み上がっていて、身体の無駄なこわばりが無くなれば、背骨の周りの深層筋肉をうまく使って立て、その結果、軸らしきものができると信じていた。その考え方自体は一般的だと思うし、間違いではないかもしれないけれど、イス軸法ではこれはちょっと違った。
イス軸法で1番驚くのは、形にこだわらない事。腰の曲がったおばあさんでも、曲がったままでも中心軸で立つ事ができる。この発想は私には斬新であった。
ATだって、世間一般に言われているよりは、かなり形にこだわらない。形よりも状態を大事にする。でも、イス軸法はそれがより徹底している。となると、ATは何が得意なのだろうか?と言う疑問がわいてくる。
そこで考えてみると、私たちがイス軸法を学んでいく時に、困難にぶつかるときがある。例えば、たまに軸が全く入らない人や、軸がしっかりと入りにくい人が居る。
そして万人に難しいのは、軸が入ってもそれを持続させることである。軸が入り続けられる身体とは、しなやかでなければいけない。そんな身体を目指すのには、ATはなかなか役に立つかも、と思う。
そう、ATは目的がきちんとあると、そこに向かう手段に長けているのだ。ひたすら、やみくもに目的に向かってやり続けることをするよりは、効率よく目的に向かえる感じがする。
ATは、努力の方向を間違えて身体を壊したり、無駄な時間を過ごすのを防止する役割があると結論づけて良いと思う。
と言うことで、ATは、『自分の軸がより強化に、どんな時も抜けない身体になる』と言う目的の道標になるかなと思っている。
まだまだ始まったばかりの私のイス軸法の道は、今後どんな発見があるのか?が楽しみである。