これは私が現在関わっている教師養成クラス、TAC(東京アレクサンダーセンター)で行ったプレゼンテーションをブログにまとめたものです。
現代の子供たちは、規律性機能障害、不登校、自殺、などが多く、世間では「弱い」 「すぐへこたれる」みたいな事を言われます。私自身もこの数年で自分自身も子育てをしながら、それを痛感しているのですが、
①それは一体なぜなのだろうか?
②子供たちに一体何が起こっているのだろうか。
と言う事の納得いく答えがなかなか見つかりませんでした。
世間一般に言われている、①の疑問に対する理由としては
●ITの発達によって、外に出ずにゲームばかりするから身体が弱くなる。
●ゲームが楽しいから学校に行きたくなくなる。
●親が子供を甘やかすから。
●不登校が多いのは、時代と学校のシステムが合っていないから。
etc…
などと言われています。上の3つは、よくありがちな「昔は良かった!」系ですね。
これらはある程度、当たっている事かもしれません。確かにITの発達によって、確かに世の中はすっかり変わってしまいました。実際、昭和の時代の私たちには、インターネットが普及した時代に育つ子供の心理はなかなかよくわかりません。
しかし、私はこれだけが理由だとは、どうしても思えないんですよね。
確かに、ゲームばかりしていると目は悪くなるし、身体を動かさないので身体が弱くなる、は納得します。でも、「ゲームが楽しいから学校に行かない」「親が子供を甘やかすから」は、ちょっと違うのでは?と思っていました。
と言うのは、そんなに子供は単純ではないと思うのです。よく「子供は学校をさぼりたいから、仮病を使っているんだ!」と言われることがありますが果たしてそうなのでしょうか?
実際、本当に学校が嫌な子は学校へ行こうとすると、途中で身体が動かなくなったり、規律性機能障害で朝起きられなくなったりする子供が一定の数で居るようなのです。
私の疑問② これ一体、子供の身体に何が起きているんでしょうか?
その答えとして、最近知られてきたポリヴェーガル理論でつじつまが合いそうです。
ポリヴェーガル理論とは?
*神経科学者のスティーブン・ポージャス博士が1995年に提唱した、自律神経に関する理論です。 「ポリヴェーガル」とは、poly=多重、vagal=迷走神経の意であり、これまで単一の働きだと考えられていた迷走神経(副交感神経)が、実は複数(多重)であったことを説明した理論です。
例えば
人が危険を感じた時、まずは→「戦う」【交感神経系】ことをします。
それがうまくいか生命を脅かすくらいになると、今度は「身体が固まります」→凍り付きの反応(背側迷走神経【副交感神経】)これにより呼吸も心拍も非常にゆっくりになり、例え傷を負ったとしても出血が少なく生き残る可能性が高まり、また生き残れなくなる場合も凍り付き反応が起きていれば意識を失い、苦しみが少なくなります。
副交感神経はリラックスした時に働く【腹側迷走神経】だけではなく、命の危険を感じた時にも働く【背側「迷走神経】と言うのがあるんですね。
このポリヴェーガル理論によると、(ものすごくざっくりと言うと)
「子供達は命を守るため迷走神経が働き、学校に行こうとすると動けない、という症状になっている」
と言う事らしいのです。
この様に科学的な根拠を示されると、子供は単にわがままで朝起きれなかったり、学校に行けないのではないとわかります。
そこで、次の私の疑問はまた①に戻り、
命の危険がある訳でもないのに学校へ行こうとするだけで、かたまる=迷走神経が働いている、なんて一体どうしてなんだろう?
と言う事が出てきました。これは、ネットなどで調べてもなかなか納得いく答えがないままでした。が、最近私が関わっている教師養成クラスTACの授業では、FM・アレクサンダー自身の著、「CCCI 個人の建設的な意識的コントロール」を読んでいるのですが、そこに答えがあるような気がしたのです。
FM/アレクサンダーが言っているのは、
人類は文明が発達しすぎて、心と体がバラバラになってしまい、生き物として劣化した。脳ばかりが発達し、体を伴っていない。このままでは、人間は生き物として更に劣化の道をたどるであろう。
これを彼が言っていたのは戦前ですので、その時でさえこういう事を警告していた、と言うことは、パソコン、スマホ時代の今は、殺されるようなシチュエーションでなくとも学校に行きたくないだけで、すぐに背側迷走神経が働いてかたまってしまう、と言う事もちっとも不思議じゃないのかもしれません。
これは一定の子だけではなく、多かれ少なかれ人類全般に起こっているのではないか?と思います。
と言う事で、私の中では一応、今の子供に何が起こっていて、それが何が原因なのか?のもやもや感は無くなりました。
ですが今後私たちは、じゃあどうすれば良いのか?と言う答えはまだ見つかりません。私自身は少なくともアレクサンダーテクニークで自分達の使い方を良くすることはできますが、人類の生物としての劣化を防ぐ、と言うスケールの大きな課題にどれくらい貢献できるか?はなかなか漠然とした課題です。