わかりやすいものの限界

やっとコロナも落ち着きつつありますね。まあ実は落ち着いたというより、皆がコロナに慣れてきて必要以上に怖がらなくなったのか?弱毒化してきたのか?はよくわからないし、これからも感染者数がゼロになることはなさそうですが。

コロナは落ち着いてもこの2年半くらいで、世の中はコロナ前と比べすっかり変わってしまいました。一気にリモートワークが増え、リモート形式のレッスンも増えました。そんな中で、いろいろ工夫をしながらリモートワークに取り組むAT教師も多く居ましたが、中にはリモートではATは教えられない、と言う教師もいました。私は?というと、実験的にはリモートもやりましたし、それはそれで良い面もありましたが、やはり物足りない感じは否めませんでした。

そして今、徐々にコンサートや対面でのイべントなどはずいぶんと復活し、やっと以前の活気が戻りつつあるのですが、未だになんとなく私の中でもやもやしている感じがあります。それが何なのか?ちょっと最近わかったので、書いてみたいと思います。

コロナ渦ではネット社会が一気に進み、いろんな情報がネット上に出回るようになりました。そしてあらゆる分野において、昔に比べてとてもレベルの高いコンテンツが無料で見れるようになりました。それは本当にありがたいことでもあります。

一方で、情報を提供する立場の人たちは、たくさんの「いいね!」をもらう為に、また動画の再生回数を増やす為に、あらゆる手段を尽くして努力をします。そうすると一見派手なわかりやすいものが、一番人の目につくところに現れるようになります。

例えば私自身、「ATをなるべくわかりやすく説明したい」と言う思いは常にあり、それについてよく考えています。ですが難しいのは、わかりやすくしようとすればするほど、断定的な表現をしなければならなくなります。これが時に危険でもあります。

例えば、「こうすれば、姿勢はよくなります!」みたいな内容の記事は、多くの人が知りたいことだとは思いますが、ATは「そもそも姿勢とはなんぞや?」と言うようなところから入り、「姿勢って外から見える形ですよね。身体の中のバランスが整ってくれば、結果として姿勢は良くなります。」みたいなかなり回りくどいと思われるような事を、私たちAT教師は説明したがったりします。

そして、正しい立ち方を指導する際に一般によく言う「あなたの頭の上に糸があって、あなたはその糸に吊り下げられていると思ってください。」は、「いや、吊り下げられると考えると、必要以上に下の方向に身体が落ちて行ってしまう可能性があるので、同時に上の方向(例えば天井、空の方向など)も考えないと!」と、これまたくどくど細かい事を言ってしまいたくなります。

単純明快に説明しようとすればするほど、誤解を招いたり、又は中途半端な浅い説明になってしまうのです。

例えばATの導入という事であれば、それなりに簡単に説明する工夫はできると思います。でも本当はそこからが肝心で、それ以上先の事になると、言葉では表しつくせなくなる、又は難しい言葉を並べたてて、只々難解になるかのどちらかになってしまいます。

最近私がたまたま見たYou Tubeで、内田舞さんという小児精神科医でハーバード大学の医学部助教授である方の対談でとても共感した部分がありました。

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それを簡単に要約すると、

人は、わかりやすい派手なものに飛びつきやすい。世の中には疑似的な信憑性の低いわかりやすいデータを載せて、人を引き引き付けようとするコンテンツがたくさんある。それは時に、社会的に私たちを間違った方向に向かわせる。(ここでは、コロナのワクチンに関する話が例として挙がっていました。)

科学はとてもエキサイティングなものであるけれど、内田さんがされているような毎日の研究自体は、例えば外から取材されたとしても、とても地味なものでちっとも面白くはないし、論文などもそれ一つ一つ自体は、決して面白いものではない。けれど、それがコツコツと積み重なって前に進んで、エキサイティングなものになって、前に進んでいく。そのコツコツとした過程を、人はもう少し評価しても良いのではないだろうか?

と言うような内容でした。(長い対談の最後に話されていた事を、超短くまとめ過ぎてしまいましたが。)

まさにそれは私が思っていたことで、世の中はどんどん、『わかりやすいもの』『すぐできるもの』『派手なもの』に向かっている傾向があるように感じます。しかし本当に素晴らしいものって、もう少しコツコツと積み重ねた事の先に見えるんじゃないか?と思います。

もしかして今は、我々は「苦しい道のりが大事」「何が何でも続けろ!」などという昭和的(笑)な考え方からの解放の時期なのかもしれませんね。でもこれからは、そういう我慢をただ要求するのではなくて、淡々と地に足を付けて前に向かう事や、そういうものを大切にしてほしいなと思います。

と言うことで、今の時代を生きる情報の時代に、私達が重要な事は、この溢れ返る情報の中から長いスパンで物事を見たり考えたりできる力、そしてそういう質の高い情報を選別する力なんじゃないか?と言えると思いますね。私自身も子供を育てているので、特に若い人たちがそういう思考を持ってくれるといいなあと願うばかりです。

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