断捨離とアレクサンダーテクニーク

この記事は過去にamebloに挙げた記事を再編集したものです。

私はけっこう断捨離好きです。やましたひでこさんの断捨離のTV番組をよく見て楽しんでます!やましたさんの断捨離レッスン、素晴らしいですよね。一種のセラピーだと思います。

割と世の中で断捨離と言う言葉は、「断捨離しなきゃ!」など、断捨離=捨て活みたいな意味で軽く使われているように思います。もちろん番組によく出てくる物だらけのお家を片付ける場合、不要なものをどんどん捨てていくところが一番印象に残りますよね。でももう少しよく断捨離を見てみると、「物を厳選して選んで、いかに使いやすく、素敵に物を配置して、自分が気持ちよく居られる空間を作るか?」というところまでが断捨離で、かなり奥深いものなのだと最近わかってきました。(って言っても、私は断捨離のプロじゃないので間違っているかもしれませんが。)実際、私も全然実践できていないですし、断捨離ってけっこう芸術性も要るような気がします。

そして、何が素晴らしいか?って、やましたさんの断捨離のレッスンは毎回指導のアプローチが違うんですよね。もちろんみんなの困っている事は大体共通していて「物の多さ」「散らかっている事」なんですが、事情は家庭や個々によって少しずつ違うので、当然同じアプローチでは上手く行かない。中には物を減らすばかりに気が行って、殺風景な部屋で「何か違う」と紋々としている人には、「別に散らかっていても良くない?」と言われていたりして、周りの見ている側が「えっ?やましたさんでもそんなこと言っちゃうんだ!」と驚かされたりします。やましたさんのレッスンのアプローチの多様性には、同じレッスンと言うものをする私としてはとても憧れます。

さて話は戻り、本当に要らない物を手放すと心が軽くなりますね。みんな部屋が片付くと、生き生きとした表情になっていて、毎回感心します。

そしてここからが本題で、断捨離アレクサンダーテクニークってどこか似ているな!とよく思います。

「余計な(無駄な)緊張を取って行けば、本来の自分に戻る」と考えるのがアレクサンダーテクニーク(以下AT)だとすれば、「余計な緊張って?」と考えた時に、やはり緊張しなければいけなかった理由があるから緊張した訳で、余計って言うのは違うかなと思ったりします。

多くの人の場合、ATのレッスンを受けていくうちに「自分のこの力みはどこから来たんだろう?」と考えたりして、自分の過去を振り返る事があります。そうすると、「あ、あの時は先生に怒られるのが怖かったから、身体を硬めていたんだな!」とか、「あの時、『背筋をピンっと伸ばしなさい!』って先生から言われたんだった!」など、いろいろな自分の歴史を振り返ることになります。(これは時に体だけでなく、メンタル的なことも同時に思い出したりします。)

そして、例えば断捨離は要らない物を処分する訳なんですが、その要らない物とは今現在、その人がそれを持つ必要がなくなった物ですよね。例えばサイズが合わず着なくなった服、趣味が変わって着なくなった服、もう使わない食器など。

そう考えると身体の余計な緊張も、過去に怖かったり、間違った事を教えられた時に身につけたもの。だから、必要がなくなったら手放していいんですよね。それには時々、勇気や根気が要るのだけれど。

そして、それを手放すやり方も知らなくちゃいけないし、その先は自分の心地よい環境を整えてあげる事も必要ですね。

そういう事をやっていくのがアレクサンダーテクニークのレッスンかなぁと思います。足し算ではなく、引き算なんですね。断捨離と似ているなあとよく思います。

       

        

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